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恩人の保証人になってしまい自己破産!宮崎県の司法書士事務所で自己破産手続きをした体験談
今回は宮崎県にお住まいの相川さんです。
相川さんは、たまたま飲みに通っていた店のオーナーから、店を大きくするから手伝ってほしいと言われ手伝うようになります。
そうしていくうちに、新店を出すとのことでそこの店長を任されるようになりました。
その後、オーナーから店舗を買って独立しないかと持ち掛けられます。
前から独立を考えていた相川さんは、提案通り独立をしました。
売上も上がっていき、順調に思えていた頃。
独立してから11年後、突然銀行からの不良債権に関する呼び出し通知が来たのでした。
実は、相川さんはオーナーが他の店舗を出店する度に保証人になっていたのでした。
そこで判明したのは、オーナーの借金が利子も含め6000万円もあること。
到底そんなお金は返せるはずがありませんでした。
そこで、オーナーと共通の知り合いである、司法書士に自己破産を相談することになるのでした。
それでは、相川さんの体験談をお話していただきましょう。
宮崎県の司法書士事務所で6000万円もの借金を債務整理した体験談
私は宮崎県のとある地方都市に住んでいる男性です。
それは35歳の時でした。
夜遅くに通っていた飲食店の社長から店を拡張するので、オープン時に手伝ってほしいと誘われたのが縁で、そのまま働くことになってしまいました。
そして37歳の時に、その店の2号店の店長を任されました。
まじめに働き売上を順調に伸ばして7年がたった時に、社長から店の減価償却も終わったので、この店を200万で買わないかと持ちかけられました。
独立して順調に思えていた矢先に発覚した事実
以前から独立したいとは思っていたので、銀行から店の改装費と運転資金を含め300万を借りて独立することにしました。
その借金も妻と2人で頑張って働いて、7年で完済することができました。
それから4年後(55歳)、突然銀行から重要と書かれた一通の封書が届きました。
それは保証人になっていた、社長の借金の不良債権解決の相談の呼び出し通知でした。
私が任されていた2号店がうまくいったことから、社長は宮崎県内にフランチャイズの店を含め、5店舗と手広く展開していったのです。
私はその都度、新しい店舗の資金を銀行から借り入れるための保証人になっていました。
どうしても社長の家族以外に最低1人の保証人が必要だということで、名前だけでいいからと頼まれたからです。
気が付けば膨大な借金の保証人となっていた
県外からふらりとやって来た、どこの馬の骨とも知れない私を、たった2年で2号店の店長に任せてくれた社長の頼みです。
しかも社長が県内5店舗で1億円を売り上げるという構想を常々語っており、2号店の成功がとても大事だとわかっていたので、喜んで引き受けていました。
しかし、私に店を売ったのもすでに資金繰りに困っていたからだったようです。
当時規制緩和の政策が施行され、県外資本の外食のチェーン店が増えたことで経営がさらに悪化して、私の店も売上が右肩下がりになっていました。
さらに別の金融機関からの法的処置を匂わす、最終通達の通知が私の元に届いて、随分前から社長は借金の利子だけの返済で精一杯だったことがわかりました。
そんな状態で利子が膨れあがり、残債が総額6000万近くになっていました。
私は知らない間に、そんな高額の借金の保証人になっていたのです。
銀行での話し合いで増えた利子は帳消しにしてもらい、社長の資産を処分しても5000万ほど借金が残ります。
返済能力が無いために自己破産を決意
私には資産がなにも無いし、私の店の先行きも怪しいうえに、古くなった備品が次々に壊れて200万近い借金が残っていました。
なのでとうてい返済能力はありません。
そこで私は社長を見捨てるようで悪いが、一旦重い荷物をおろして心機一転し、やり直そうと破産手続きをすることに決めました。
社長にもそのことを話したところ賛成してくれたので、どうしたら自己破産ができるのかとか、保証人だけでもよいのかなどといろいろ調べてみました。
ちょうど社長と共通の知り合いの人が自己破産をしていたので、その手続きをした司法書士を紹介してもらいました。
忙しそうでしたが親身になって相談に乗ってくれて、保証人でも自己破産ができるということがわかったので、そのままお願いすることにしました。
店の備品購入の借金の一部が、妻名義や私の保証人になっていたので一緒に自己破産することを勧められましたが、妻が頑なに拒否をしたのでその分は除外することにしました。
思っていたよりもスムーズに進んだ自己破産手続き
資産もなくて車も妻名義であり、借入先も少なくて提出する書類はすぐに揃いました。
申し立てからしばらくして破産手続き開始決定と同時廃止決定の通知が届きと、非常にスムーズに進みました。
そして免責許可決定となったのです。
自己破産の手続きはかなり大変だと思っていたのに、あまりにもあっけなくことが進み過ぎて、これで終わったという実感がありませんでした。
調べてみると土地などの財産や株式があると、弁護士を雇って管財人をたてなければいけないみたいです。
私の場合はなかったのですが、裁判所にも行かなければいけないこともあるみたいです。
あとは、妻名義と私の保証人になっている分の借金が120万ほど残りました。
地道に働き借金はゼロの生活に戻る
店はたたんでしまったので、妻はすぐに地元で働きはじめました。
私は大手の自動車会社の契約社員として県外に働きに出ることにしました。
そして6ヶ月の契約更新を繰り返して、4年後にはすべて完済することが出来たのです。
しかしその後、リーマンショックが襲って仕事がなくなり地元に帰ってきました。
帰ってからは地元での就職は困難でしたが、なんとかタクシーの運転手として働くことが出来ました。
65歳からは年金で、細々と暮らしております。
借金の肩代わりができないならきっぱり断るべき
よく保証人にはなるなといわれますが、そうはいっても義理だとか親子や兄弟の縁で引き受けざるを得ないことが多いのが現実だと思います。
同じ債務を引き受けるのが、連帯保証人なのですから自分の資産や貯金と収入に見合った金額の保証人になるのが、一番いいと思います。
無理ならはっきり断ることでしょう。
それでも引き受けるなら、なにかあっても保証人を頼んだ人を決して恨まないこと。
そうすれば死ぬときにいい思い出だったといえる人生を、送ることができると私はそう思っています。